街中の交通渋滞がなくなり、おのずと空気がきれいになった。
ところで、チャタヌ-ガ市が循環用の電気パスを購入しようと、ビッグ3などの全米の企業に自らつくってしまったのである。
車体は既存の自動車メーカーで生産されたものを改造しているが、こうして製造された電気パスが一九九六年には十二台導入された。
二OOO年までにはバスの全台数の半分にあたる三十台にまで増やそうと計画しているが、やがてはすべてを電気パスに転換する現在、チャタヌ1ガ市の電気パス(製造)管理会社の従業員数は三十五名と少ないが、それでも、アメリカの各州の十三都市でも販売されて、合計四十台近くが運行されているGMなどの電気パス生産台数を上まわる数字である。
問題は、電気パスのコストが従来のディーゼル・パスに比べて二、三倍にもなることだ。
さらに、バッテリーが重く、充電に時間がかかることも欠点である。
それでも、今後、各都市からの注文がさらに増えてくれば、コストもディーゼル並みに下げられ、バッテリーの進歩にともない、性能も向上していくだろう。
四半世紀にわたる取り組みの結果、見違えるようになった街に、市民は誇りを抱くとともに、以前と比べて、環境に対する意識もきわめて高くなった。
アメリカでは荒廃していく工業都市が多いだけに、「チャタヌ-ガの奇跡」と呼ばれて、アメリカの都市再生のシンボル的な存在となっている。
こうした取り組みは、ささやかながら、日本でもはじまっている。
農業と観光で成り立つ屋久島では、環境保全を優先する町づくりが進められている。
一九九三年十二月、縄文杉などを含む針葉樹の植生をもつ屋久島が、世界遺産に登録された。
それを契機に、島をあげて自然保護に取り組むようになった。
恵まれた自然を残すことが島民の誇りであると同時に、重要な観光資源ともなるからだ。
環境先進地域を目指す「屋久島憲章」が議会で可決され、今後、島が進むべき方向を明確に打ち出している。
ゼロ・エミッションを目指す再資源化や化石燃料追放の計画もある。
電力の七割をまかなう水力発電に加えて、民家では、太陽光発電や風力発電を取り入れている。
一九九五年十一月、環境庁の援助を受けて、島に電気自動車五台が試験的に導入された。
自動車による大気汚染が全国一といわれた東京都板橋区でも、そうした不名誉を返上するため、車や天然ガス車などを含めて、低公害車の普及では全国一となっている。
このほか、かつては八幡製鉄所など公害を発生する工場を数多く抱えてきた北九州市などの工業都市でも、街の環境をよくしてイメージ・チェンジを図ろうとする取り組みをはじめている。
成果は、企業や市民がどれだけ積極的に運動に取り組むかにかかっている。
車の安全に関してはもちろん、廃棄物や廃車のリサイクル率も高く、ことに地球温暖化につながる二酸化炭素の排出規制に関しては、意識の高いEU諸国の中でも、リーダー的存在となっている。
ドイツはそれを大きく上まわる目標を掲げ、一九八九年から二OO五年までに二五パーセントを削減するとしている。
このための法的規制を百以上もつくって、対策を急いでいる。
それに対し、日本とアメリカは削減目標を決められず、ヨーロッパ各国から非難を浴びた。
日本政府は二OOO年以降の一人あたりの排出量を一九九O年レベルに安定化させると表明はしたが、一九九五年時点ですでに八・三パーセント上まわっている。
を一九九O年の水準に逆戻りさせるためには、相当の覚惜をもって取り組む必要がある。
一九九七年十二月一日から、京都で聞かれた地球温暖化防止条約会議の開催国である日本政府は、当初、産業界とともに削減目標を打ち出すのに難色を示していた。
ドイツの環境相は、日経産業新聞のインタビューに応えて、次のように述べている。
化炭素の排出量を下げることに成功した。
経済成長は必ずしも二酸化炭素の増加につながらないということを日本は理解してほしい」国にとっても重要な意味をもつ。
アメリカの態度を見てからとか、アメリカの方針にしたがうということはやめるべきだ」。
自動車業界をはじめとする産業界は、今後、かなりの研究開発投資を強いられることになる。
業績の悪い企業にとっては負担がより過大となって経営を圧迫するため、好調な企業との格差がより開いて、脱落していくことも予想される。
有効な手だては、法規制日本は石油危機後、政府あげての省エネ政策の推進によって、経済は成長してもエネルギー消費は横ばいとなっていた。
夜の繁華街のネオンが消え、テレビの深夜放送が短くなり、職場では昼休みに蛍光灯を消した。
ガソリンスタンドは休日を休業にした。
原油価格が大幅に下がった一九八六年ごろから風向きが変わり、やがて、エネルギー消費は再び上昇しはじめた。
世の中全体がバブル景気に酔いしれて、省エネ意識などどこかに吹き飛んでしまった。
バブルは崩壊したが、エネルギー多量消費型の生活スタイルは、後も定着したままである。
クーラーが急速に普及自動車時代の文明史的転換一家に何台も取り付けられるまでになった。
二十四時間営業のコンビニ店が急増し、スイッチを入れっぱなしの自動販売機が全国津々浦々にまで広がって、二百万台にも達している。
浪費型社会に逆戻りするのは、じつに簡単である。
便利なほうが心地よいからだ。
石油危機以来、十数年にわたって進められてきた産業界の取り組み、たとえば工場設備の省エネ化などがほぼ一巡したことで、一九九二年に民生・運輸部門からの二酸化炭素排出量がトップに躍り出で、全体の四割を超えた。
こうした状況に、産業界自らが広く世論に訴えて、国民的な意識の高まりをつくり出していく必要があると指摘する声もある地球環境問題にしろ、エネルギー問題にしろ、現実問題となると、なかなか実現はむずかしい。
結局のところ、もっとも有効な対策は法的規制であるまでの自動車産業の歴史が証明している。
六0年代半ば、ラルフ・ネ-ダ-が自動車の欠陥問題を取り上げて、8ビッグ34を告発した。
をジャーナリズムがさかんに取り上げ、社会問題化したことで、国民が関心をもつようになり、やがてアメリカ政府が世論に押される格好で、一九六六年、安全性に関するハイウエー交通安全局設置法を制定することになった。
それを契機に、自動車メーカーは安全対策に多くの開発費をつぎ込むようになった一九九0年代の日本における安全対策もしかりである。
アメリカだけにとどまらず、ヨーロッパや日本も追随することになって、対策技術の開発をめぐって世界の自動車メーカーがしのぎをずることになった。
当時の受けとめ方としては、メーカーの存続も危ぶまれるきびしい規制だとの反発もあったが、約十年の歳月を要して各メーカーともに規制値をクリアする技術を開発導入して決着がついた。
七0年代に起こった石油危機にともなって、アメリカなどは燃費向上を義務づける燃費規制が制定され、も数年後に達成された九0年代に入って、カリフォルニア州が制定した大気汚染防止規制によって、各メーカーともクリアに全力を傾注して、電気自動車やハイブリッドカー、天然ガス自動車などの低公害車が生まれ、代替燃料に関連した技術の研究開発がさかんになってきた。
こうした過去の例からしても、法律が制定されることによって自動車メーカーは対策に本腰を入れて真剣に取り組むようになる。
最後の神頼みは施主支給の発展性を考えてみました。この春は施主支給で盛り上がりましょう!
施主支給を余すとこなく分析しました。一日で効果がわかる施主支給です。
施主支給の方法をご存知ですか?スタッフお勧めの施主支給を紹介します。